お電話でのご予約・お問い合わせ 0120-610-555
LOCAL GUIDE 錦糸町・両国
周辺情報を検索する
エリアから探す
最寄り駅から探す
所要時間から探す
内容から探す
クリア

忠臣蔵の舞台を歩く

こんにちは。
ロッテシティホテル錦糸町予約担当の金子です。
とうとう12月。
今年も最後の月となりました。

クリスマスや年末というビッグイベントに向けて、
街がますます活気づいてきたように思います。

さて、年末になると特別番組などで放映される『忠臣蔵』。
約300年前の12月、現在の両国にあった吉良邸に赤穂浪士が主君の仇を討ちに押し入った事件の物語ですね。
そのクライマックスは、ここ墨田区で繰り広げられました。
そこで、今回は忠臣蔵の舞台となったスポットを、勉強しながら散歩してきました。

ロッテシティホテル錦糸町からJR総武線の隣駅、「両国」で下車します。
まずは駅から数分の両国観光案内所に向かいました。
こちらには、さまざまな「まち歩き」のコースマップがあります。
忠臣蔵にまつわる場所が記載されたパンフレットを片手にいざ出陣です!

最初は両国橋のたもとにある「大高源五句碑」。
討ち入りの日を決めた赤穂浪士の文化人ともいえる大高源五が残した句「日の恩や 忽ち(たちまち)くだく 厚氷」です。
ここには、ツアーガイドの方とたくさんの観光客がいらっしゃいました。

この近くには、赤穂浪士が討ち入り後に休息したといわれる場所があります。
そこは「旧両国橋・広小路後」。昔の両国橋があった場所で、
その両端に火除け地としてあった広小路で、
茶屋や屋台などが並ぶほどの繁華街だったようです。

今は駐車場になっていましたが、ここでひと仕事を終えた浪士たちは、
どんな思いだったのかと考えてみました。

少し歩いて「一之橋」に到着しました。
この事件が始まるきっかけとなった主君こと、現在の兵庫県赤穂市に位置する播磨赤穂藩の藩主・浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)のお墓がある泉岳寺へと、赤穂浪士が引き揚げる際に最初に渡った橋だそうです。

次は、前原伊助宅跡です。
彼も赤穂浪士の一人で、吉良家の裏門のすぐそばに住居を構え、
討ち入り当日はここに集合したそうです。

木版に書かれた内容から、この事件は浪士たちが綿密な策略を立て、
その日を迎えたのだなと実感しました。

そして、いよいよ物語で仇を討たれる吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷跡に向かいます。
まずは吉良邸正門跡。

木版に当時の周辺地図が書かれています。
また、この場所で赤穂浪士たちがどうやって入ったかなども記されており、
歴史を振り返ることができました。

この先を左に曲がると、いよいよ吉良邸跡です。
こちらにもツアーのお客様が来ており、塀の中にも外にも多くの方が訪れていました。

塀の中に入ってみると、整備され凛とした空気が流れる空間。
こちらは現在、本所松坂町公園となっています。
当時の吉良家の86分の1ほどの広さ。
吉良邸はそれはそれは大きな屋敷だったようです。

園内には、首洗い井戸や邸内にあった松坂稲荷社があり,
塀の内壁には吉良邸の見取図などの銅板がありました。

最後は、本所松坂町の石碑です。
昭和4年に行われた区画整理で「松坂町」の名がなくなってしまったのを惜しんで、
昭和7年にこの石碑が建てられたそうです。

史跡を目の前にして、故人を偲びながらさまざまな思いを馳せた今回の散歩。
忠臣蔵の概要は知っていましたが、とても興味深い事件だと感じ、
もっと知りたくなってしまいました。

来週には、赤穂浪士や吉良上野介の供養が行われる、
吉良祭・元禄市(12月12・13日)や義士祭(12月14日)が行われます。

こうした行事で、多くの方が故人を偲んでいるのですね。
みなさんも歴史散歩にもぜひ出かけてみてください。

このスポットをシェアする:

同じエリアの周辺情報